新潟古町芸妓

動画一覧

200年の歴史と伝統を誇り、湊町新潟の文化を象徴する『新潟古町芸妓(ふるまちげいぎ)』。
唯一無二の地域資源である彼女たちの存在と価値を、様々な映像でお届けします。

新潟古町芸妓PR映像
『しきさい』

  • 『しきさい』Seasons Colours 完全版

    こちらの動画は、2021年2月に公開した「新潟古町芸妓PR映像『しきさい』Seasons Colours」に、四季のシーンを全て盛り込んだ完全版です。

  • 『しきさい』短編 第1話(夏)Seasons Colours (Summer)

    『しきさい』短編 第1話(夏)Seasons Colours (Summer)

  • 『しきさい』短編 第2話(秋)Seasons Colours (Autumn)

    『しきさい』短編 第2話(秋)Seasons Colours (Autumn)

  • 『しきさい』短編 第3話(冬)Seasons Colours (Winter)

    『しきさい』短編 第3話(冬)Seasons Colours (Winter)

  • 『しきさい』短編 第4話(春)Seasons Colours (Spring)

    『しきさい』短編 第4話(春)Seasons Colours (Spring)

  • 新潟古町芸妓PR映像『しきさい』

    新潟古町芸妓PR映像『しきさい』

『古町お座敷物語』
(古町花街・古町芸妓入門動画)

  • 古町お座敷物語 第1話「申し込み」

    彼の名前は柳 仲道(やなぎ なかみち) ごく普通のサラリーマン。 このお話は柳さんと新潟のお座敷にまつわる話。

  • 古町お座敷物語 第2話「接待」

    料亭の予約、芸妓の手配を終えた柳さん 今日はその当日「接待の日」です...

  • 古町お座敷物語 第3話「お祝い」

    接待を無事に終えた柳さん。 今日は奥さんのお父さんの還暦のお祝いをセッティングしたようです...

  • 古町お座敷物語 第4話「昼懐石」

    あれ??柳さんがいません! どうやら今日は義理のお母さんが柳さんにお願いして食事会をセッティングしたようです...

踊りアーカイブ映像

  • 「四季の新潟」  新潟古町芸妓 日本舞踊・市山流

    西條八十作詞、中山晋平作曲で昭和9年に新潟新聞社(現・新潟日報社)の企画で出来た曲。土地の四季の風景や風物などのお国自慢を織り込んである、いわゆるご当地ソングです。

  • 「新潟小唄」  新潟古町芸妓 日本舞踊・市山流

    三代目(現在)の萬代橋竣工記念行事として、北原白秋作詞、町田嘉章作曲により昭和4年に作られた42章からなる曲で、聞くだけで当時の新潟の風景が目に浮かびます。踊りは団扇で踊る時と、四ツ竹で踊る時があります。

  • 「新潟おけさ」 新潟古町芸妓 日本舞踊・市山流

    いつ頃古町に根づいたかははっきりしていないが、元和元年(1615年)頃、北前船の就航と共に「ハイヤ節」が各港に入ってきて、その流れを汲む「おけさ」が各地で流行。その中で「新潟おけさ」は花柳界(古町)でお座敷唄として洗練され、情緒のある唄として完成された。

  • 「新潟甚句」 新潟古町芸妓 日本舞踊・市山流

    江戸末期から明治にかけて毎年夏、堀にかかる橋(八千八川)のあちこちで夜が更けるまで踊られた。その下駄の音と樽砧(たるきぬた)の音が調和して情緒を醸し出している。お座敷では下駄は履かない。

  • 「からかさ」  新潟古町芸妓 日本舞踊・市山流

    明治期の俗曲で、「傘の骨が折れてバラバラになり紙が破れても貴方とは離れません」と唄われている。

  • 「さのさ」  新潟古町芸妓 日本舞踊・市山流

    「さのさ」花づくし 雪づくし(俗曲)  振付:六世市山七十郎 歌詞は数多くあり、即興で唄うのが粋とされた。たくさんの歌手の方が歌っており、その人の名前が題名に入っている。

  • 「お座付三下り」 新潟古町芸妓 日本舞踊・市山流

    三下りとは三味線の調弦法のひとつで、粋や艶(つや)を表す時に多く使う。 「人のうわさなどに惑わされないですよ。貴方に逢うなら丸木橋でも渡ります」と唄われている。

その他 動画

  • 新潟古町芸妓【NIIGATA GOOD CONTENTS】

200年の歴史と伝統を誇り、湊町新潟で文化を繋ぐ古町芸妓
おもてなしの象徴として、活躍の場を広げています。

『古町芸妓(ふるまちげいぎ)』は、新潟県新潟市中央区古町地区を拠点とする芸妓(芸者)で、その発祥は約200年前の江戸時代後期にまで遡ります。最盛期には約400人が活動していたと言われ、京都の祇園や、東京の新橋などと並び称されてきた日本有数の花街、新潟古町において、湊町新潟を代表する文化のひとつとして醸成されてきました。

古町芸妓は大きく2種類に分けることができます。いわゆる「姐さん」、すなわち新潟芸妓置屋組合所属で30~80歳代のベテラン芸妓と、全国初の株式会社組織の置屋として昭和62年(1987年)に設立された『柳都振興株式会社』に所属する若手芸妓、通称「柳都さん」とに分別できます。

また、柳都さん(柳都振興㈱所属の若手芸妓)においても、留袖(留袖さん:振袖を務め上げた一人前の芸妓。留袖になるまでに7年から8年を要する。)と振袖(振袖さん:18歳以上の若手芸妓。)に分けられ、着物や装束など外見にも違いがあります。

現在、新潟芸妓置屋組合には13名(うち3名は柳都振興株式会社を卒業して独立した30~40歳代)、柳都振興株式会社には12名(うち2名は昨春入社の「新入社員」)が所属しています。

座敷では主に市山流の舞踊を披露しますが、市山流は新潟市無形文化財の第1号で、地方都市に宗家があって、その地で120年以上の歴史を刻んできた流派は全国でも唯一であり、その芸術性が高く評価されています。

古町芸妓は、この市山流の厳しい稽古で磨かれた踊りや、唄・三味線などの芸と美しい所作でお客様をもてなし、宴の席に和と華を添えてきましたが、「地域資源」としての価値が認識されはじめた昨今では、座敷だけでなく、各種コンベンションでの舞の披露や芸妓体験会、観光ポスターのモデルや県内外でのイベント出演など、活躍の場が広がっています。